峰さを理の死因は病気?病名は癌?宝塚時代から現在までの活動や闘病生活に迫る!

元宝塚トップスターで女優の峰さを理(みね さおり)さんの訃報が入りましたね。

宝塚星組の男役トップスターとして活躍されていた峰さを理さんは、宝塚退団後は女優業だけでなく、日本舞踊家としての活動もされていました。

 

峰さを理さんは、いつもはつらつとしていて、お元気なイメージしかなかったのですが、ご病気を患っていたのですね。

突然の訃報にショックを受ける人が多くて・・SNSには追悼コメントもたくさん寄せられています。

峰さを理さんの死因は何だったのでしょうか。持病をお持ちだったとか、闘病生活が長かったとか、そのような情報は今までなかったと思いますが・・。

  • 峰さを理さんの死因や病名は癌?
  • 峰さを理さんの闘病生活はどのくらいだった?
  • 峰さを理さんの宝塚時代から現在までの活動は?
  • 峰さを理さんのお人柄は?世間の人はどう見ていた?

などなど、峰さを理さん逝去の情報について、いろいろ調査してみたいと思います。

 

最後までお読みいただけたら、うれしいです。

 

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峰さを理の死因は癌?病名や闘病生活について調査!

 

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峰さを理さんがお亡くなりになったニュースを見て、驚きました。峰さを理さんは、パワフルでお元気な印象しかなかったからです。

峰さを理さんのオフィシャルウェブサイトに、峰さを理さんの後援会から次のようなお知らせがありました。

峰さを理(本名:安田峰子)は去る令和3年1月30日 享年68歳にて甲状腺未分化癌のため都内の病院にて永眠いたしました。

引用元はこちら!

なお、通夜や告別式については、昨今の状況を考慮して静かに送ってほしいという故人の希望で、家族葬という形で執り行うとのことです。

昨今の状況とは、新型コロナの感染拡大かと思われます。緊急事態宣言が出され、不要不急の外出は避けるようにしていましたね。病院に行くのも自粛するような動きが、たしかにありました。

 

甲状腺未分化癌(がん)というのは、あまりなじみのない病名ですが・・。

「甲状腺未分化がん」は、「甲状腺がん」のうち約1〜2%とまれではありますが、進行が早く、甲状腺周囲の組織を破壊したり、離れた内臓に転移したりしやすく、生命の危機にかかわることが多いのが特徴だそうです。

甲状腺がんのなかでも、約1~2%という、本当にめずらしいがんのようです。進行が早くて、生命の危機にかかわることが多い病気なんですね。

 

峰さを理さんの闘病生活は長かったのでしょうか。

関係者の話では、峰さを理さんは昨年(2020年)1月のコンサートに出演した際に、「肩に違和感を覚える」と、体調の異変をもらしていたそうです。

しかしコロナ禍の影響で、病院に行くのを我慢して様子を見ていて、7月に検査を受けました。

 

峰さを理さんの検査の結果は、甲状腺がんでした。その後、肺への転移も見られました。

 

その後のくわしい病状は明らかにされていないのですが、衰弱した様子で過ごされていたということではないようです。

 

峰さを理さんは2021(令和3)年1月29日に容体が急変し、翌日に息を引きとりました。

 

先ほどの関係者によれば、「本人はしっかりしておられ、自分の命が長くないことも把握していた。『最後の舞台は踊って終わりたい』とも語っていた」とのこと。

 

峰さを理さんは、ご自身の病気について理解されて、もうすぐ命の火が消えることを覚悟していたのですね。強い方だと思います。

 

多くの人に慕われ、影響を与えた峰さを理さんとはどんな方だったのでしょうか。

その活動について見ていこうと思います。

 

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峰さを理の宝塚時代から現在までの活動をチェック!

 

峰さを理さんは、「最後の舞台は踊って終わりたい」 と言われていたそうですが・・68歳になっても舞台で踊っているというのは、すごいですね。

峰さを理さんの2019年の動画です。歌声がすばらしいです。

そしてなんといっても、若々しくて、美しい!

 

それでは、峰さを理さんの簡単なプロフィールを見てみましょう。

  • 名前:峰さを理(みね さおり)本名:安田峰子
  • 生年月日:1952年7月15日(68歳2021年1月現在)
  • 出身地:福井県敦賀市
  • 身長:169㎝
  • 活動開始記事:1972年

 

峰さを理さんは、1971年に宝塚音楽学校に入学して、翌年、58期生として宝塚音楽歌劇団に入団。その時の成績は、48人中2位だったそうです。

関西テレビの番組「ザ・タカラヅカ!」に出演するユニット「バンビーズ」の8期生に選ばれて、ほぼ毎週テレビに出ることに!

ここで、宝塚にくわしくない一般の視聴者にも広く知られるようになったんですね。

 

1983年には、星組トップスターに就任し、中性的な魅力をもった正統派の男役スターとして、宝塚での地位を確かなものにします。

かっこいい!のひと言です。

 

1987年に宝塚を退団し、その後、女優として多くの舞台に出演しました。また日本舞踊家としても活躍します。

コンサートやディナーショーで歌うことも続けてこられました。

本当に、多岐にわたって活動されていたんですね。

それだけに、峰さを理さんの死を悲しむ声が多く、いろんな方がSNSで追悼のコメントをされています。

 

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峰さを理への追悼プロフィール続出!公式ホームページにも峰さを理のあふれる愛が・・・

峰さを理さんは、何がよくて何がいけないかを後輩にしっかり教えることを徹底されていたそうです。でも、峰さを理さんが愛情深く、優しい人であったことは、多くの人が感じています。

Twitterのたくさんのコメントを読んでいると、じーんと温かい気持ちになってきます。

 

コロナでの自粛期間中は、峰さを理さんは公式ホームページで「メッセージ」を更新して、日常生活を報告したり、ご自身でお料理されたレシピを紹介したり、またコロナで不安になる私たちを励ましてくださったり。

なんと、安倍首相が体調不良で退陣されることを心配されるコメントまで!

参考:峰さを理さんの公式ホームページの「メッセージ」 )

 

峰さを理さんご自身の体調も悪くなっていくなか、読者を明るくしたいという思いであふれています。それが峰さを理さんの元気のもとだったのかもしれませんね。

 

峰さを理さんのご冥福をお祈りします。

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